大連

【スペイン一人旅 2019年GW】大連をプチ観光する②(中山広場近代建築群)

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「中山広場」に到着!

大連国際空港から地下鉄に乗って30分ほど、「中山広場」に到着しました。

初めて大連の街にやってきたのですが、めちゃくちゃ穏やかな雰囲気の街!
中国人の友達が「東北地方でも大連は別格」と話してたのですが、何となく分かる気がします。

「中山広場」って想像以上にデカい。
芝生が広がっていて、日曜日なので市民の皆さんが散歩したり遊んだりしています。
ってか、ゴミが全然落ちてない!

その反面、中国らしい豪快な水やりを見ることができました(笑)
しばらくおじさんの水やりを眺めてましたが、かなり豪快に水を撒いてました。



「大連中山広場近代建築群」を見てまわる

「大連中山広場近代建築群」は中山広場の外周にぐるっと点在しています。
とりあえず、私が事前に調べた範囲で「大連中山広場近代建築群」の建物を見て回りました。

ちなみに、私が見て回った日が土曜日だったせいか、閉まってる建物が多かったです。

旧・関東逓信局(現:大連市郵政局)

関東州の郵便事業を行ってた建物です。
建築家の松室重光が、関東都督府民政部に建築技師として着任してた頃に設計しました。
1917年(大正6年)竣工。

こんなにしっかり建物が残ってるなんてびっくりです。
100年近く経った今でも、大連の郵便局として使用されているのがとても興味深かったです。
近くに怪しげなおじさん達がいてたせいで、あんまり写真が撮れませんでした。

旧・朝鮮銀行大連支店(現:中国工商銀行中山広場支行)

日本統治時代は朝鮮銀行として使用されていました。
なんで朝鮮?と思ったのですが、韓国併合が1910年で、大連の朝鮮銀行竣工が1920年。
朝鮮を日本が統治してた時代に建てられたんですね。

設計者は中村與資平(なかむらよしへい)。
1911年、日本統治時代に出来た「朝鮮銀行」の建築顧問だった方です。

韓国の銀行?みたいみ思うけど、日本の(戦前の)特殊銀行でした。
外観はルネサンス様式のめちゃくちゃでかい建物で、写真に納まりませんでした。

「大連中山広場近代建築群」の建物には、このような案内があります。
この案内だと建築は1922年って書いてます。

旧・大連民政署(現:遼寧省対外貿易経済合作庁)

日本統治時代、大連を管轄してた政府機関でした。
現在は「遼寧省対外貿易経済合作庁」として使用されています。

竣工は1908年、設計者は前田松韻
関東都督府土木課の技師だった方です。
大連のロシア街近くにある「勝利橋」も前田松韻さんが設計しました。

ここは「大連中山広場近代建築群」の中で一番人の気配を感じました。
「遼陽銀行」の文字があったので、銀行も併設?してるのかも。

ってか、建てられたのが約100年前。
メンテナンスしてるもかも知れないけど、めちゃくちゃ綺麗に残っていました。

旧・大連ヤマトホテル

「大連ヤマトホテル」は南満州鉄道が経営してた高級ホテルです。
竣工は1914年。

私が「大連中山広場近代建築群」で一番楽しみにしていたのが「大連ヤマトホテル」でした。
「大連ヤマトホテル」は数多くの有名人が宿泊(天皇陛下や李香蘭とか)したホテルで、満州時代から現在までの歴史を眺めてきた、そんな建物が見たかったんです。

中山広場にあるヤマトホテルは、元あったヤマトホテルが満州に訪れる人が増えて収容し切れなくなったために建てられた新館でした。

「大連ヤマトホテル」は休業中です(2019年5月現在)

「大連ヤマトホテル」は2019年10月まで営業していたのですが、現在は休業中です。

近くまで行って建物の中を覗いてみたのですが、めちゃくちゃ豪華だったんだろうなぁ、という雰囲気が漂っていました。

が!
噂では2019年末に営業再開するらしいです。

ほんとに?!
私がパッと見た限り、再開しそうな雰囲気あんまり無かったのですが・・・。

2019年以降、「大連ヤマトホテル」が再開してホテルの設備もしっかり改修されるなら、また大連に来たい!
いや、大連に行きます。

旧・大連市役所(現:中国工商銀行大連市分行)

日本統治時代の大連市役所。
設計者は旧・関東逓信局を設計した松室重光です。

竣工は1919年。
(案内板には1917年って書いてますが)
戦後も1950年までは中国の大連市役所として使用されていたそうです。

上の方に塔みたいなのがあるのですが、祇園祭の山車をイメージしたそうです。
(ちなみに、松室重光さんは京都出身)

「旧・大連市役所」も建物がデカくて、カメラに収まり切りませんでした。
この建物は、結婚式用の写真撮影やモデルっぽい撮影をしてるグループが数組いました。

それと、右側に見えるQRコードが気になって、スマホで読み取ってみたら、建物の案内をするサイトに飛びました。

旧 東洋拓殖大連支店(現:交通銀行大連市分行)

「東洋拓殖」は1908年から1945年まで、日本統治時代の朝鮮の拓殖事業を行う国策会社として設立しました。
この建物は、「東洋拓殖」の大連支店として使用されました。
現在は、交通銀行大連市分行として使用されています。

竣工は1936年。
設計者は宗像主一いう人で、朝鮮銀行の設計をした中村與資平のお弟子さんです。

旧・中国銀行大連支店(現:中信銀行中山支行)

最初は「清国大清銀行 大連支店」でした。
その後、1912年に清が無くなって中華民国になったため、「中国銀行 大連支店」になりました。

この建物の設計者は中国人なんです。
名前は「庄俊」、中国では著名な建築家です。
1910年にアメリカへ留学し、建築を学びました。
上海、ハルビン、青島などの銀行やショッピングセンター、住宅など、色々な建築物を手がけました。

建物はとても大きくて、ルネサンス様式の素敵な建物なんですよ。
なのに・・・だんだん疲れて来たのかまともに写真を撮ってないんですよね、無念。

大連人民文化クラブ

すみません!
私、これが「大連中山広場近代建築群」の1つだと思わなくて、適当にしか写真とってません。
(日本統治時代の説明が書いてる案内板が無かったので)

すごいでかいホールで、中国人オペラ歌手のコンサートの案内がバーンって出てたんですよ。
それを見て「へぇ、歴史あるコンサートホールなのかな?」程度にしか思っていまんでした。

竣工は1950年なので、戦後ですね。
ソ連軍が、大連と旅順に滞在してたことに建てられました。
現在も、コンサートホールとして使用されています。

旧・横浜正金銀行大連支店(現:中国銀行遼寧省分行)

「横浜正金銀行」は1880年に開設した外貨為替を取り扱う銀行でした。
終戦後の1946年に外貨為替取扱を東京銀行に引き継いで「横浜正金銀行」は解体されました。

ちなみに、東京銀行は1996年に三菱銀行と合併して「東京三菱銀行」になりました。
で、三菱東京UFJ銀行に名前が変わり、2018年に「三菱UFJ銀行」になったので”東京”の名前は消えてしまいました・・・。

竣工は1909年、設計者は妻木頼黄(つまきよりなか)です。
妻木頼黄は「明治建築界の三大巨匠」って言われるめちゃくちゃ凄い人で、横浜にある横浜正金銀行本店のほかに、横浜の赤レンガ倉庫も設計しています。

「大連中山広場近代建築群」を見てまわって(感想)

短い時間をぐるっと見て回っただけですが、100年近く経った今も建物は現役で利用されていることにちょっと感動しました。

単純に見に行くのを忘れたのですが、少し離れたところに「満州鉄道本社ビル」(現:大連満鉄旧跡陳列館)もあります!
(家に帰ってから見に行ってない事に気づいた)

大連、思った以上に見どころがあります!
絶対に次回は泊りで大連に行きたい。


あまり時間がないので、次の場所へ移動します。
「大連のショッピング街が見たい!」と思ったので、青泥窪橋(地下鉄2号線沿いに駅がある)に行くことにします。
(ネットで「青泥窪橋はお店がいっぱいある」と書いてたので)

【スペイン一人旅 2019年GW】大連をプチ観光する③(青泥窪橋をブラブラ)前回まではこちら https://tabi-hitori.com/2019/05/27/dlc-kankou2/ 中山広場から青...