鹿児島(2018年1月)

鹿児島一人旅2日目③(鹿児島市内の銅像を見る)

鹿児島市中心部にはやたらと銅像があります。
(銅像だけなら人口密度日本一じゃない?ってぐらい)

鹿児島市内をブラブラしてるときに見つけた銅像を紹介します!

ウィリス、高木に西洋医学を説く

信号待ちをしてる時に視線を感じて、振り返るとウィリスと高木さんがいました。

ってか、ウィリスって誰?高木さんって誰?

と思って、気になったので調べてみました。

ウィリスは、「ウィリアム ウィリス」という名前のイギリス人で、お医者さんです。
幕末から維新の時代に、日本に西洋医学を広めた凄い人で、、西郷隆盛からの招かれて現在の鹿児島大学医学部を創設しました。
(その後、西南戦争が始まったため、イギリスへ帰国しました)

で、高木さんは、「高木兼寛」という方で、ウィリスが創設した現在の鹿児島大学医学部で医学を学びました。
高木兼寛は東京慈恵会医科大学の創設者だったりするのですが、そんなことより、凄いことがあります!!

高木兼寛は「海軍カレー」生みの親なんです!

私、カレー大好きなので、親近感がわきます。
調べてみると、明治初期の日本海軍では脚気(ビタミンB1不足で末梢神経に障害が起きる病気)が流行っていました。
海軍軍医だった高木兼寛は、

イギリス海軍に脚気はいない

イギリス海軍が食べてるカレーを日本海軍に取り入れよう!

日本海軍から脚気患者が劇的に減る

ってことで、白米多しの食生活でB1不足になってたのを、麦飯&カレーを食べる事でバランスの良い食事をとる事が出来ました。
(麦飯にB1が多く含まれているのが良かった)
「ビタミンの父」って言われてるけど、高木兼寛がビタミンを発見した、って訳ではないみたいです。
(世界で最初にビタミンを発見したのは、鈴木梅太郎という学者。米ぬかに脚気に効く成分がある!→ビタミンB1を発見)
当時は「詳細は分からないけど、食べ物変えたら脚気が良くなった!」みたいな感じだったようです。
(後々、ビタミンと脚気の関係性が分かった、って感じ)

ちなみに、歴史の教科書にも出てくる作家の「森鴎外」は陸軍の医師もやっていました。
森鴎外も同じように陸軍での脚気の流行に悩んでいました。
が、高木兼寛と脚気に対する考え方が異なり、森鴎外は「脚気は細菌が原因の伝染病」を唱えていました。

森鴎外は「栄養と脚気改善に関連性なんてあるわけねぇ!」ってスタンスで、陸軍は食事改善をすることなく、伝染病説を貫きます。
その結果、日露戦争で陸軍では脚気患者が25万人、戦死者約4万人のうち3万人近くが脚気が原因で死亡しました・・・。
(これ、かなりの大失態ですよね?)

調べて面白かったのは、森鴎外は死ぬまで「脚気改善には栄養が関係してる」ってのを認めませんでした。
(プライド高そうだから、認めたくなかったんだと思う)
結局、森鴎外が死んだあとに陸軍が「脚気とビタミンB1との関連性」を公に認めたそうです。

最初、この銅像を見たときには「ふーん」ぐらいしか感想が無かったけど、調べてみると、これは銅像にすべきだわ!
高木兼寛もまさか、脚気改善のために広めた「海軍カレー」が、現在も海上自衛隊で受け継がれてるなんて想像もしなかったと思う(笑)

ウィリアム・ウィリス博士と高木兼寛博士銅像

龍馬、お龍と薩摩でひと休み

坂本龍馬と奥さんのお龍さんです。
京都の寺田屋で負傷した傷をいやすため、薩摩の温泉へ奥さんと来た時の模様です。
(日本初の新婚旅行と言われてるそうです)

ここでも写真を撮ってたら、通りすがりのお年寄り夫婦が「写真撮ってあげるよ」を声を掛けてくれました(!)
ノリノリでお龍さんと龍馬の間に入って、”3人で鹿児島に来た”風に写真を撮ってもらったのですが、まさか新婚旅行中だったなんて(笑)

龍馬、お龍と薩摩でひと休み碑



イギリス艦、鹿児島湾現る

鹿児島にイギリス艦が来たって?!
現在でも鹿児島空港にイギリスからの航空機が来たこと無いのに。

と思って調べてみると、「生麦事件」が大きく関係していました。

「生麦事件」って

横浜あたりにあった生麦村あたりを薩摩藩主の大名行列が通りかかる

近くにいたイギリス人商人が馬に乗ったまま行列に入り込む

薩摩藩主「あのイギリス人なにさまなんだ!!」と激オコ

イギリス人、薩摩藩士に刀で切りつけられて死んでしまう

という、事件がありました。
これが日本人同士の話なら「そりゃ切られるわ」で終わるのですが、相手は外国人。
しかも「日米修好通商条約」を結んでる影響で、外国人は治外法権が認められてました。

イギリスからしたら「殺される謂れはない!犯人だせや!」だし、幕府も薩摩藩を責めるし、薩摩藩は「別の人がやった」みたいなこと言い出すわでグッダグダの事態に。

で、イギリスは交渉をするために薩摩へ向かい、鹿児島湾へやってきた・・・って状況の銅像です。
(そりゃ血相を変えて走るわ。ちびっ子も走るわ!)

結局、薩摩も「生麦事件はぜーんぜん悪くないし!」みたいな状態で、グッダグダの事態から「薩英戦争」へと向かっていきます。

イギリスvs鹿児島・・・「こんなん確実に鹿児島瞬殺やろ」と思ったのですが、なんやかんやで引き分けに。
(鹿児島パネェすぎる)

このままイギリスと鹿児島は末代までお互いを憎しみ合い・・・となりそうなんですが、意外な展開に。
お互いに「お前なかなかヤルじゃん」みたいな感じになって親睦を深めていき、イギリスは後の倒幕へ影響を与える事になります。

そりゃ銅像にしたくなるわ!

イギリス艦、鹿児島湾に現る碑

大久保利通像

大久保利通は知ってる!
教科書に必ず載ってる名前ですよね。

幕末から明治維新に大きく関わった政治家です。

「市内定期観光コース」のバスガイドさんが言ってましたが、西郷隆盛と幼馴染みだそうです。
でも・・・西南戦争で、大久保利通は政府軍の指揮にあたるんですよねぇ。
西南戦争で西郷隆盛は死んでしまい、翌年に大久保利通は東京の紀尾井町あたりで暗殺されます。
(場所で言うと、紀尾井町にあるホテルニューオータニ近く)

大久保利通が生きた時代もチョンマゲスタイルの時代だったと思うのですが、何故か西洋風の格好をしています。
これは「岩倉使節団」っていう、岩倉具視(500円札の人)と共にアメリカやヨーロッパを見学したのがきっかけで、西洋スタイルを取り入れてたそうです。
(プロレスラーで言うと凱旋帰国後のEVILみたいな感じでしょうか)

大久保利通のこと調べてみると、大河ドラマ「西郷どん」観たくなってきた(笑)
(どんな風にドラマで描かれるのかが知りたい)

大久保利通像

黒田清輝、桜島の噴火を描く

ってか、どっちが黒田清輝?
桜島と黒田清輝の関連性って何?

と思って調べてみました。

左が黒田清輝で、右はお弟子さん(山下兼秀)です。
黒田清輝は鹿児島市出身の洋画家であり、政治家もやっていた方です。
この銅像がある近辺で黒田清輝は生まれました。

大正3年に起きた桜島の大噴火(鳥居が灰に埋まったり、大隅半島がくっついたりした大噴火)の際、鹿児島にいてた黒田清輝は桜島の噴火をスケッチするためにお弟子さんと出かけている、という場面です。

黒田清輝が描いた桜島の絵は、鹿児島市立美術館に保管されています。
鹿児島市立美術館のサイトを確認したら、お弟子さんの絵を見る事が出来ました。

黒田清輝、桜島の噴火を描く碑